手術成功

朝、子供達送り出してすぐ私も家を出た。新幹線は混んでたが、宇都宮で降りる人多くて後はゆったり座れた。


9:30には福島に着いてお姉ちゃん夫婦と合流して病院に行った。
8月ぶりにお母さんに会ったが、さらに小さく見えた。ずっと食事できないから痩せてた。点滴も腕だけじゃなく、首の血管の方が太いからと、首にもついてた。
これがまた痛かったらしい。


2年前から検査を勧められていたが、苦しい思いをしたくないのと、もう歳だから治療しなくていいとの
希望で今まで断わってきたが、やっと検査受けてくれた。お姉ちゃんがお母さんに怒ってまで説得してくれたことに、感謝。まだまだ先延ばしにしてたら、末期になるところだった。
ステージⅢと診断されて、即入院となったわけだが、手術するのも嫌がってたらしい。検査のたびに痛い、辛い思いをしてきて、参ってる様子だった。
絶対大丈夫だからね、頑張ってね!
って何回も手を握って声援を送って手術室の扉が閉まった時は、心が詰まったような感じになった。もしも、容体が急変したり手術ミスしたりもっと広範囲で転移したりしてこのまま戻ってこなかったらどうしよう………………>_<…って怖くなった。

気を紛らわすように色んな話をしながら待っていた。3時間経って、看護師さんが呼びに来た。先生の方からお話があるので来るようにと・・・。

まさか!って悪い事思い浮かべてしまったが、
「無事に終わりましたからね」
の言葉を聞いて、全身の力が抜けた。

どんな話かなってドキドキしてたら、入った部屋で先生の手から血が滴っていて、手の下のトレーに何やら生々しいものがある。それは、20センチくらい切除した大腸で、管のようになってるものを切り開いた状態だと聞いて、うわあ!!思ったが、逃げちゃいけないと思い起こして、目を反らさずに話を聞いた。がんの部分が黒くなってて、500円玉より大きかった。これのせいで腸が塞がれて詰まってしまうようだ。近くのリンパ節にも転移していたので全て切除したとのこと。リンパ節とは、、、って切開して見せてもらったら、白いつぶみたいなものだった。

5年のうちに再発する率は、50~60%らしい。抗がん剤治療は、高齢だし副作用に耐えられないだろうから、
無理せずに行わない方が良いだろうね、って話だった。

手術室からリカバリー室に移される前に、お母さんに声をかけたが、まだ意識もうろうとしてる状態だった。
よく頑張ったね!良かったね!!って声をかけたら、一瞬目がキョロっと動いただけだったが、聞こえたのかな。

明日は起き上がりや立ち上がる動きを指導してしてもらい、明後日からは歩行のリハビリをするようだ。

とにかく、手術が無事に成功してよかった…>_<…



本当は泊まって、また明日面会に行きたかったが、旦那が夜勤で帰って来ないため、子供達だけだと不安なので、埼玉に戻ってきた。

福島駅でパン屋さんの前を通ったら、赤べこパンが!!生で見たのは初めてで、速攻店に入って買った。中にりんごが入っててめっちゃ美味しかった✨✨


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